/ 2001.11.5 /

奥秩父・奥多摩主稜縦走           

                            栗原 治郎(記) 

栗原(単独)


  大地の凹凸は山であり谷である。その凹凸を平面におこしたのが地図でその地図に引かれた線を歩いてたどるのが山登り。人が一日に歩ける距離は、その線にしてみればとても短い。早朝に起きてすぐに歩き出し、昼食を取りながらひたすら歩き、時には暗くなっても歩く。それでも線の上をちょっとばかし移動したにすぎない。地図を這う尺取虫のほうが万倍早い。地図をもとに山を歩く楽しみは、地図から自分の頭でおこした立体が目の前の風景と重なるときかもしれない。地図どおりの空間をてくてくと移動している自分。そんな自分が地図を見て、その小さな一部分に自分がいると想像している。自分という地図上の一点がじりじりと移動している様を思い浮かべるのがとても楽しい。
  このミズガキ山荘から奥多摩駅のコースを思いついたのは、たぶん1年ぐらいまえ。まだ山に登り初めて数ヶ月ぐらいの頃。少し歩きなれた雲取山周辺から延々と続く尾根(地図上の線)を歩きたい、とただ単純に思っていた。線は途切れず続いているほうがよい。じゃあ縦走だ。4泊かかると最初は思った。少しまえまでは23日かな、と思っていた。角屋さんに12日だよ、といわれて、じゃあそうしようと思った。

出発は5日の午前2時。少し早すぎると思ったが、一日の行程を約14時間とするとこれくらいに出なくては日暮れに間に合わない。ミズガキに行く角屋さん、加藤さんとミズガキ山荘前で別れて僕は深夜の山道へ消えてゆく。空は雲ひとつない星空。まぶしいぐらいのやや欠けた月が森を照らす。月の冷たい輝きは母を思い出させる。僕の母の名は月子といふ。ヘッドランプを頭に載せてはいるけれどほとんど使うことはなかった。

月夜に浮かぶ大日岩を過ぎる頃から、風の音が気になり始めた。強くなるのか?予想通り稜線に出たとたん気象条件ががらりと変わった。絶え間なく吹く風に体感気温はぐっと下がり、風に揺れる木々の枝は氷でぱりぱりになっていた。月光に青白く浮かぶ金峰の岩稜は、まるで異星のように見えた。そこを体をちぢこませて足早に歩く。金峰山頂に着いたのが午前450分。完全にガスに包まれていた。そのせいで大弛峠に下りる道を間違えてしまいガレた斜面を登り返す。少し急ぎすぎたかしら。無駄なく慎重にと言い聞かせて先を急ぐ。大弛小屋で天気予報を聞くと午後3時から崩れる、山間部では12時くらいから、とのこと。今日明日とずっと天気が悪くなったらどうしようかと心配になる。なんとなく完走できないような気がしてきてなんだか気弱になってしまった。とにかく歩いてから考えよう、と自分の尻を叩いて歩き出す。国師ケ岳山頂730分。ここから甲武信までが長かった。単調なアップダウンが続き最後に甲武信の登り。標準タイムだと4時間55分となっている。バテないように登りは力をセーブして、下りと平地でタッタッタっと距離を稼ぐ。ただただ無言で独り先を急ぐ。大地のでこぼこひとつ越え、二つ越え。

甲武信山頂についたのが午前11時。強風とガスと霧雨ですっかりモチベーションが下がってしまった。たのむからあんまりでこぼこしないで、と何者かに向かってお願いし始める自分がいた。そろそろどこに泊まるのか決めなくてはいけない。当初の予定通り進むとすれば、標準タイムで6時間30分先の雁峠小屋。次の候補は3時間40分先の雁坂小屋。一番楽なのが1時間先の笹平避難小屋。雨は降るし風も強いので出来れば笹平に泊まってしまいたかった。しかし、次の日の行程を考えると最低でも雁坂までは行っておきたい。雁峠までいけなくても雁坂までいければ、奥多摩駅はなんとか射程距離に収まるだろう。風と雨を避け飛び込んだ笹平避難小屋で僕は迷っていた。しかし今考えると、あれは迷っていたんじゃなくて怖気づいてたに過ぎない。結局、風雨が怖くて山にいれるか、と開き直るのに2,30分かかった。身支度を整えて再びもくもくと山道を行くこと約2時間30分。雁坂小屋についたときには、今日はもうこれ以上歩けないと思った。限界ではないけれど、限界の90%は使ったと思う。この日の移動時間は13時間30分。思いのほか体力が続かなかった。歩き方がまずかったのか、それとも単純に体力不足か。体調は、よかった。

初めての営業小屋泊は想像以上に快適だった。たった一人の客である僕に小屋番のおじさんは、鹿肉やきんぴらごぼうやほうれん草をご馳走してくれ、小屋番と接する機会が今までなかった僕は、小屋での生活のことなどを聞いてはふんふんと関心していた。ストーブの暖かさと満腹感ですっかりモチベーションをとりもどし、これでもかとストレッチをしてからあたたかい布団で眠りに落ちていった。

4時起床。夜じゅう荒れていた天気は落ち着いてはいるが、まだ雨は降り続いていた。しかし、もう雨には慣れた。今日もただただ歩くだけだ、と言い聞かせ、足には山渓ビニール袋、体はディアプレックスで準備万端整え、暗い森をライトを頼りに突き進む。ストレッチのおかげかはたまた鹿肉のおかげか、すっかり疲労感は抜けていて快適なトレッキング。標準時間3時間の雁峠小屋までの道のりを1時間20分で抜ける。雁峠小屋で昨夜から泊まっているという女性と少し話をして、早々に将藍峠へ向かう。が、ここで笠取山のピークを踏むべきかどうか迷う。結局昨日のようなバテバテ状態を恐れて巻き道を選ぶ。少し決意が弱いなと感じた。巻き道を歩きながらもピークを踏むべきだよなぁ、と少し後悔。唐松尾山頂からすベる道に難渋しながら駆け下り将藍峠に着いたのが930分。残り少なくなった食料を少し腹にいれて、次の目的地飛龍山を目指す。地図を見ると斜面を横切って歩く平坦な道となっている。ああ助かるなぁ、とほっとする。もう自分の意志で歩いてる気がしない。なにかに歩かされていて、その何かが手加減してくれることにほっとしていた。ありがたいを連発しながら雨もやみつつある緩やかなアップダウンをテンポよく越えてゆく。飛龍権現についたのが1110分。すっかり天候は回復して、ちらほらとあたりの山々が見え始めた。この山行で初めてみる周囲の山なみ。毛布にできたシワのようなもわもわっとした大地の凹凸が広がっている。もうあたりはすっかり奥多摩の雰囲気になっていた。笠取を登らないで、飛龍まで登らなかったら笑われる、と思いホイホイと駆け上がり飛龍山頂の柱にタッチ。残念ながらまたまたガスって展望はなし。権現でディアプレックスとビニール袋を脱いで気分をいれかえて出発。雲取はもうすぐそこだ。緩やかな道は歩きやすく、いくつもかかっている小さい橋はしっかりとしていて安心感がある。登りになるとストンとペースは落ちるがそれでも大股で先を急ぐ。完全に晴れわたった雲取山頂についたのが午後150分。ここまでくれば後は下りだと安心して大休憩を取る。

コーンスープとプルーン、カロリーメイトで腹を満たし、しばし風景を眺める。残念ながら富士山は雲に隠れてしまっているが雨後の空気はとても澄んでいた。奥多摩駅の方角を見るとまだ山稜はうねうねと続いている。ここから先は4時間もあればいいだろう、とたかをくくっていたけれど、実は地図が七つ石山までのものしかなかった。どこに奥多摩の町があるか知らないがもっとかかりそうな気がする。だんだん肌寒くなってくることと所要時間がわからないことに不安を覚え、早々に避難小屋を後にしたのが午後230分。七つ石のピークを踏み即下る。いくつかの小ピークは全てとばしてやたらと姿を見せる鹿の白いおしりを追いかけながらやけくそに鷹ノ巣山のピークへ。丁度ここで太陽が地平線すれすれの雲の向こう側へ没した。自分の影が消えてゆくのはあまりいい気分ではない。光も影もない鷹ノ巣の上でなんだかとても疲れてしまい、しばし腰を下ろしてぐったりする。日没は445分。もうすっかり冬なのだ。空は次第に明るさを失いかわりに星星がまたたきはじめた。いつでも点けられるよう頭にはヘッドランプを再び。点灯してからは道をはずさないよう用心して足を運ぶ。泥に滑り、木の根にひっかかり、自分がどこにいるのかはっきりしない薄ら寒い下山が続く。少し道のわきに目をやればそこは漆黒の闇。星明りを頼りにするには僕は退化しすぎた。山と森の潜在的な恐ろしさにすっぽりと包まれて自分という人ひとりの弱さが身に沁みる。たとえ町がそばにあったとしても山は山であり、闇は闇なのだった。

結局闇の中を歩くこと約2時間。奥多摩駅に着いたのが午後730分。家と会長に電話を入れて、コンビニで買ったたらみのたっぷりみかんとグレープフルーツジュースを流し込む。暖かな電車のシートで一眠りするとそこはもう拝島駅。焦って下車するが階段でさんざんふらついてしまった。

 この日の行動時間は約14時間。10時間以上の行動は一筋縄では行かないということがはっきりした。今回時間の記録を細かくつけてみたがこれで一つの基準がつくれるのではないか、という目論見だった。そのことについては成功だったと言えそうだ。

 3回分くらいの縦走をひといきでやった感じがする。それだけ隣り合った奥秩父と奥多摩でも様子ががらりと変わったということだろうか。再来週あたりもう一度やりたいなんて奇特な考えは持てないが、また体力に自信がついた頃にやれたらと思う。

やはり、地図上をじりじりと移動してゆく自分を想像するのは快感だ。単細胞な山遊びの一つのかたち。山での行動を地図に還元する倒錯性。こういうことは若いうちにやっておいたほうがいい。

ミズガキ山荘−奥秩父奥多摩主稜−JR奥多摩駅     所要時間:41時間

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